海の多様な生物を育む"鉄のチカラ"

スチール缶や冷蔵庫・自動車・ビル・橋など、さまざまな製品に使われている"鉄"が製造される過程で生じる副産物として、「鉄鋼スラグ製品」がつくられている。鉄鋼スラグ製品は、これまでセメントや道路の路盤材などインフラ整備に広く使われてきたが、最近では海の環境再生を担う素材として注目を集めている。今回のメインレポートでは、鉄鋼スラグ製品を用いた海洋環境再生への取り組みを通じて、海の多様な生物を育む"鉄のチカラ"について紹介する。

海の砂漠化を食い止める素材として、注目される鉄鋼スラグ製品

コンブやワカメなど海藻類が失われ不毛の状態となる磯焼け現象は、日本各地の海岸約5,000kmにわたって広がっており、現在も進行している。さらに亜熱帯の沖縄の海では、サンゴ礁が失われる白化現象が起きている。藻場やサンゴ礁は、植物プランクトンや魚介類の生息・産卵の場として、海の多様な生物を育む"ゆりかご"的な役割を果たしている。そのため磯焼けやサンゴ礁の白化といった"海の砂漠化"は、生態系の根幹を揺るがす大きな問題となっている。こうしたなか、鉄鋼業界では全国53カ所の海域で鉄鋼スラグ製品を用いた藻場造成・サンゴ再生に取り組み、海洋環境の保全を推進している(図1)。

 

日本では年間約1億tの鉄がつくられるなか、鉄鋼スラグは東京ドーム16杯分に相当する約4,000万t発生している。この鉄の副産物を利用し、高炉セメントや道路用路盤材、土壌改良材の原料など、さまざまな鉄鋼スラグ製品がつくられている。鉄鋼スラグ製品について、鐵鋼スラグ協会の正保剛氏は次のように解説する。

「鉄の原料は海で生まれた自然素材です。太古の海は鉄分の濃度が非常に高く、光合成する生物が出す酸素によって酸化し海底に沈殿した酸化鉄が、地殻変動で隆起して鉄鉱石になったと言われています。また石灰石はサンゴなどの生物の殻が堆積してできたものです。ですから、鉄の製造過程で発生する副産物を利用してつくられる鉄鋼スラグ製品は、もともと陸や海の環境に適合しやすい資材と言えます。土木資材として"グリーン購入法指定調達製品目"に指定されており、昨年供用が開始された羽田空港新滑走路など数々のインフラ整備のほか、水田や畑でも肥料として長年使われています。そして最近、鉄鋼メーカー各社の実証実験によって、鉄鋼スラグ製品に含まれている鉄分やカルシウム成分が、海の環境修復に効果的であることがわかってきたのです」

北海道増毛町
鉄分供給による施肥効果で藻場が再生

北海道の日本海側には、明治から大正時代に盛んだったニシン漁で財を成した網元たちが競ってつくった、ニシン御殿が各地に残っている。かつて北海道増毛町もニシンの水揚げで活況を見せていたが、沿岸部で磯焼けが広がったこともあり、ここ20年以上にわたってニシンが姿を消してしまった。

磯焼け対策として、増毛漁業協同組合は独自に発酵魚粕を用いた海域施肥実験を積極的に進めていたが、2004年10月から新日本製鐵と共に実海域で鉄鋼スラグ製品を用いた鉄分供給による施肥実験を開始し、藻場再生に大きな成果をあげている。海に鉄分を供給した理由について、新日本製鐵の木曽英滋氏は次のように解説する。

「磯焼けの原因はさまざまな要因がありますが、森林伐採などの開発が進み、川を通じて森から海へ供給される腐植酸鉄が不足していることも一因と考えられているからです」

新日本製鐵は東京大学・(株)エコグリーン・西松建設(株)と共に研究に取り組み、海水に溶けやすい二価鉄を豊富に含む鉄鋼スラグ(転炉系製鋼スラグ)と腐植土を混合することで、森林に代わり効率よく腐植酸鉄を生成することができる「ビバリー®ユニット」を開発。磯焼けが深刻な増毛町の舎熊海岸に約25mにわたって埋設した(写真1)。ビバリーユニットをヤシ繊維で編んだ袋に充填し海岸線に埋めることで、波や潮の干満によってユニット中の鉄分が海中へ供給される仕組みになっている。

鉄分供給による施肥実験の結果、2005年6月の調査でコンブが繁茂し、施肥した実験区海域の単位面積当たりのコンブ生育量は、しなかった海域の200倍以上に及んだ(写真2)。かつて石灰藻に覆われ海底一面が真っ白な磯焼け状態であった増毛町の海は、現在もユニット設置部から沖合に向かってコンブなどの海藻類が豊かに生育している。

「施肥効果について、北海道大学と共同研究も行うとともに、当社先端技術研究所で海水中の超微量鉄を観測可能とする技術開発に取り組み、科学的に実証することに成功しました。漁業関係者から『ニシンの姿を確認できるようになった』との声も聞かれるようになり、鉄分を供給することで海藻や植物プランクトンが増殖して藻場が再生し、漁場の回復にもつながっています」(木曽氏)。

 

海は鉄分を必要としている

「牡蠣の森を慕う会」代表 京都大学 フィールド科学教育研究センター 社会連携教授 畠山 重篤氏

気仙沼湾では1960年代の半ば頃から養殖カキなどに異変が起きました。改めて気仙沼湾に注ぎ込む大川を観察したところ、生活排水や農業で利用する除草剤や化学肥料などが川に流れ込み、さらに水源地である山が荒れていました。雑木林が圧倒的に多かったはずの山は、戦後の植林計画によってスギばかりになり、しかも間伐などの手入れもされていないため、太陽の光が入らず下草が育たない状態でした。

私たち気仙沼の漁民は、気仙沼湾に注ぐ大川上流の山に二十数年前から落葉広葉樹の植樹を続けています。それは気仙沼湾で水揚げされる水産物を育てる植物プランクトンや海藻の生育に必要な鉄分が、河川水によって上流の森から供給されていることが、北海道大学の松永 勝彦教授の研究チームにより科学的に裏付けられたからです。

森と川と海は連環しています。森で木の葉が腐って腐葉土になると、鉄イオンと結びついてフルボ酸鉄という植物プランクトンに吸収されやすい鉄分ができます。広葉樹林の森が海の恵みにとても重要な役割を果たしているのです。日本は真ん中に脊梁山脈の森があり、そこから日本海と太平洋2万1千本の川が注ぎ鉄が供給されています。だからどこに行っても海藻や魚介類が獲れるのです。しかし今、森・川・海のつながりが分断され鉄不足になっているのです。「鉄の科学」を学ばないと、環境問題の本質は語れないのです。(談)

沖縄県宮古島
海になじみやすいカルシウム成分でサンゴが再生

サンゴは北緯30度~南緯30度、水温約20~30℃の光の届く浅い海に生育している。イソギンチャクと同じ捕食動物だが、体内に単細胞の藻が共生していて光合成を行っており、サンゴは藻からも栄養分をもらって生きている。しかし海水温が30℃を超える日が続くと、藻が体内から逃げ出してサンゴが白く見える白化現象が発生する。

現在、世界の3分の1のサンゴが白化現象による絶滅の危機に瀕していると言われている。日本のサンゴも例外ではなく、沖縄県の石垣島と西表島の間に広がる日をあげている。マリンブロックは、鉄鋼スラグに含まれるカルシウムとCO2を反応させ、炭酸カルシウムとして固定化したものだ。マリンブロックの特徴について、JFEスチールの小山田久美氏は次のように説明する。

「マリンブロックは、サンゴや貝殻と同じ炭酸カルシウムが主成分で海の環境になじみやすく、また多孔質体で表面には細かい穴が開いていてサンゴや海藻が根を張りやすく、海中での浮力を抑えた安定的な構造になっています」

宮古島では東京海洋大学と共同開発した鉄鋼スラグ製のサンゴ着床具(写真3)を使って、幼生サンゴのマリンブロックへの着生試験を実施した。2005年に設置後、2008年5月にサンゴは直径13.5cm、2010年6月には38cmにまで成長(写真4)し、産卵も期待できるようになった。

「着床具は外敵の魚やウニなどが入り込めないよう凹凸形状に工夫されています。サンゴが一斉産卵する場所に何万個と着床具を設置し、幼生を着床させ一定期間育成した後、ダメージを受けたサンゴ礁に設置したマリンブロックに、ダイバーが一つひとつその着床具を埋め込みました(写真5)。その結果、マリンブロック上で幼生から産卵サイズに成長するまでのサンゴ再生サイクルが完成することを確認できました」(小山田氏)。

 

自然と寄り添い、サンゴの進化を緩やかにサポート

東京海洋大学 海洋科学部 海洋環境学科 教授 岡本 峰雄氏

石西礁湖は従来からの生活排水や栄養塩類(肥料)の流入に加え、地球温暖化による海水温度の上昇によって、白化現象が起きました。そこでサンゴの幼生を産む親のサンゴを守り絶滅を防ぐ、サンゴ礁に幼生が着いて生育できる海域環境をつくるといった2つの視点から、環境省主導で再生事業が進められてきました。

日本に生息する約360種類のサンゴの約5分の1を占める石西礁湖では、毎年5月の満月の夜2km四方にサンゴが一斉産卵し、受精した幼生が数日間海中を漂います。中でも広範に子孫を残すミドリイシ属は、同じ海域の自己再生産だけではなく、日本全国の重要な幼生供給源となるため、その保全が非常に大切です。

私はサンゴ礁の保全では“進化をサポートする”という意識が必要だと考えています。現在は遺伝子的には明らかではありませんが、高水温に適応したサンゴも生育しており、その進化を緩やかに促す保全活動に取り組んでいますが、多孔質で幼生との親和性の高い素材でできた「マリンブロック」は、その基盤技術として重要な役割を果たしています。

今後も日本のサンゴ礁保全の最前線で見識をさらに深め、将来的には国際協力も実現していきたいと思います。(談)

グローバルな循環で地球環境保全への貢献を目指す

鉄鋼スラグ製品の活用によって、地球環境保全の推進に貢献する技術開発が、さらに加速化している。

新日本製鐵は2009年4月、鉄鋼スラグ利用の有用性と安全性を科学的に解明するため、千葉県富津市の技術開発本部に「シーラボ」(海域環境シミュレーション設備)を開設(写真6)。さらに2009年8月には、経済産業省の「低炭素社会に向けた技術発掘・社会システム実証モデル事業」の一つとして、「海の森づくりによるCO2吸収実証モデル事業」が採択され、北海道寿都町と室蘭市の2カ所の海域で実証実験を開始した。藻場再生による近海漁業の活性化、鉄鋼スラグやバイオマスなどの有効利用に寄与できるほか、コンブなどの海藻類は陸上植物に比べて成長速度が速く、その生育時にCO2を効果的に吸収することから、地球温暖化抑制に向けた対策技術としても期待されており、この事業を全道展開することでCO2削減効果は約500万tに達する見込み。

一方、JFEスチールはサンゴ礁再生技術をグローバル展開する動きを本格化させている。海外では2007年から東京海洋大学とインドネシアのサムラトランギ大学が共同で、インドネシア海域におけるサンゴの生育環境調査を行ってきた。この調査でマリンブロックがサンゴ幼生の着床と生育に効果的であることが確認されたことから、本格的な実証試験が2010年8月に開始された(図3)。この実証試験は、経済産業省の「東アジアにおける鉄鋼スラグ製品の有効利用による省エネルギー・環境基礎調査」の一環として実施。その成果は東アジア・ASEAN経済研究センターで報告される予定となっており、JFEスチールの技術が東アジアを中心としたサンゴ礁再生技術のモデルとなることが期待されている。

日本の鉄鋼業界は、今後とも鉄鋼スラグ製品を用いた海洋環境再生技術の活用を通じて、海の多様な生物を育み地球環境保全の推進に貢献していく。

 

さまざまな生命が輝き、共存する美しい未来に

鐵鋼スラグ協会 常務理事 内田 靖人氏

当協会は2008年から「鉄鋼スラグ製品と海と森」と題したアートコンテストを毎年実施しています。過去いずれも300を超える力作が寄せられ、どの作品にも地球や自然、さまざまな生命に対する一人ひとりの温かく深い気持ちが表れていて、主催者として嬉しい驚きを感じました。コンテストを通じて、美しい未来への想像をふくらませていただけたらと考えています。(談)

 

※入選作品は鐵鋼スラグ協会のホームページでご覧いただけます。