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「STEEL CAN AGE」Vol.34 横山 剣

Vol.34 横山 剣号
2015年8月発行

缶詰の製造技術を利用して開発

環境ロボット めぐりん今から50年前の1965(昭和40)年9月14日、三浦義武が開発した缶コーヒーが日本橋三越本店で販売された。商品は「ミウラ」(三浦)と「ミラクル」(奇跡)にかけて「ミラ・コーヒー」と名づけられた。砂糖が入ったミルクなし200g入り缶コーヒーで、販売価格は80円だった。売れ行きは上々で、評判も良かった。翌年3月からは関西地方を中心に百貨店や国鉄(現JR)の鉄道弘済会売店などで本格的に販売された。歴史地理学者で三浦義武研究の第一人者である安来市加納美術館・神英雄館長は次のように解説する。

「1950年代後半から相次いで缶コーヒーの試作・開発が行われました。しかし内容物の腐食、変質、異臭などでうまくいきませんでした。こうした問題を克服して、継続販売された商品はミラ・コーヒーが世界で初めてです。小説家・小島政二郎のエッセイにも商品を推薦する記述が見られます。当時、浜田市内で盛んだった缶詰の製造技術にヒントを得て製品化されたもので、半年後に開缶しても濁らず沈殿することはありませんでした」

一つひとつ缶に注いで製造

缶コーヒー開発は1963(昭和38)年にさかのぼる。三浦は地元の浜田缶詰に協力を仰ぎ、店で淹れるのと同じような味や香りが出せて濁りが出ないものにしようと、半年かけていくつもの試作品をつくった。その間、製缶メーカーの技術者に依頼して、特殊加工した腐食しにくいスチール缶が開発された。

「製造は18歳の女性従業員が担当していました。夏の間は週3日間、店から数百メートル離れた作業場で大型ネルを使ってコーヒーを淹れ、それを牛乳樽に詰めて軽トラで缶詰工場に運び、一つひとつ缶に注いでいました。現在の缶コーヒー製造では考えられないことですが、当時誰も思いつかなかった独自の抽出方法で、店で提供しているのとまったく同じコーヒーを詰めていました。おいしくないはずはありません。そのため注文が殺到して製造が追いつかない状態でした」(神館長)

しかし資金の調達などの問題からミラ・コーヒーは販売開始から3年で市場から姿を消した。その翌年の1969(昭和44)年4月、三浦義武がコーヒー豆の仕入先として長年取り引きしていた上島珈琲がミルク入り缶コーヒーを発売し、大阪万博で爆発的にヒットした。ここに現在の缶コーヒー市場の礎が形成されたのだ。

「自ら考案したコーヒーを本場ヨーロッパに輸出しようと缶コーヒーをつくった義武は、こよなくコーヒーを愛し、コーヒーに人生を捧げ80年の生涯を閉じました。その義武の功績を称え、コーヒーの薫るまちづくりが浜田市で始まっています」(神館長)




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