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「STEEL CAN AGE」Vol.36 荻原 次晴

Vol.36 荻原 次晴号
2016年8月発行
考え続けること、子どもの手助けをすること。

スキーノルディック複合の選手として、オリンピック、ワールドカップと世界を股にかけて活躍してきた荻原次晴さん。最近ではスポーツキャスターとして、お茶の間の人気を集めています。大自然と密接にかかわるウィンタースポーツの経験から、地球環境やリサイクルについて、今感じていることをお話いただきました。

元スキーノルディック複合選手 スポーツキャスター 荻原 次晴

荻原 次晴さん

私が生まれたのは、群馬県の草津という町です。ご存じのように標高の高い場所ですから、その辺りの子どもたちはごく自然にスキーをするような環境でした。雪とは長い付き合いになります。その雪の降る量が、このところ格段に減ってきていることを実感しています。

よく覚えているのは、子どものころの雪かきのこと。多く降った朝は玄関の扉がまず開かないんです。どうにか力ずくで開けると、自分の背丈くらいの雪が積もっていて。それが、今はそこまで降ることは全くなくなりました。ヨーロッパの氷河も、年々行くたびに規模が小さく痩せていくのを感じます。ですから、最近は冬季オリンピックの開催地選びでも、「果たして雪は大丈夫なのか」という心配が常につきまとうようになっています。私は専門家ではないので、これが地球温暖化の直接的な影響かどうかはわからないですが、地球全体でかなり積雪量が減っていることは感じますね。

僕が初めて海外に行ったのは高校2年生のときです。イタリアへのスキーの遠征でした。当時、イタリアの街角に置かれた公共のゴミ箱が色分けされていて、缶、ビン、紙といった感じに分別されていたのをよく覚えています。そのころ、日本では黒いゴミ袋にまとめて捨てていたような状態でしたから、僕は「なんでこんな面倒なことをしなきゃならないんだろう」と思っていました(笑)。

それから10年くらい経ったころでしょうか。日本でもようやく「ゴミを分別しましょう」ということになってゴミ袋の色が半透明になったのを覚えています。日本に入ってくるのにずいぶん時間がかかるんだなと思いましたね。今では日本でもゴミをきちんと細かく分別して捨てるようになりましたよね。私もペットボトルのラベルはきちんと剥がしますし、どんなに酔っ払ってもビンはビンのところにちゃんと入れてます(笑)。リサイクルできるものは、きちんとリサイクルした方がいいですよね。

スチール缶のリサイクル率は92%だと聞きました。スチール缶については、実家の家業が金物屋だったのでペンキの一斗缶のイメージが強いですね。実家は商店のなかで暮らしてるような感じで、親父の作業場にはペンキがずらっと並んでいましたから、僕も適当な木を釘でくっつけては使い終わったペンキの余りで塗ったり…そんなことばかりして子どものころは遊んでました。今でも家具や子どものおもちゃが壊れたり塗料が剥がれたような場合は、だいたい自分で修理します。

物を大事に直しながら長く使うということも、ヨーロッパの国々で教えてもらいました。僕らは、例えばフランスで試合するといっても、パリのシャンゼリゼ通りに行くわけじゃなくて、日本で言うところの野沢温泉や志賀高原のようなアルプスの山深いところに行くんです。田舎ですから皆さんが想像するようなホテルはない。B&B(bed and breakfast)という民宿のようなところに泊まるんですが、それこそ古い建物、家具をメンテナンスしながらきれいに大切に使ってるんです。それはとても素敵なことだなと思いますね。物を大事にすることがいいなと感じるのと同時に、本当の豊かさというのは、次々と新しいものを買い換えることじゃなくて、先祖代々その家に伝わる家具などを直しながら丁寧に住んでいくことなのかなと思います。地球環境についても、同じことが当てはまるのではないでしょうか。

: PROFILE :
1969年群馬県草津町生まれ。幼少のころからスキーを始め、中学3年生のときに双子の兄・健司と共にスキーの全国大会複合競技で1、2位を独占し、その名を全国にとどろかせる。早稲田大学卒業後、北野建設スキー部に所属し、1994年からワールドカップに参戦。1998年の長野オリンピックでは個人6位、団体5位と入賞を果たす。長野オリンピック終了後、引退を表明。現在はウインタースポーツ普及をライフワークとし、メディア出演や講演などの活動を行っている。

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