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STEEL CAN AGE

MY ANGLE

内なる宇宙“生命”を創造した金属-鉄

京都薬科大学教授(薬学博士) 桜井 弘氏

鉄は体内に含まれる金属(ミネラル)の中で最も多い物質。体重70kgの男性であれば、体内に釘1本分(約4g)の鉄が存在する。今号のMY・ANGLEでは、生物の進化に重要な役割を果たしてきた鉄の機能について、京都薬科大学の桜井教授にお話を伺った。

生物の起源となった鉄

なぜ体内に鉄はあるのでしょう。あくまでも推測ですが、地球が誕生した頃、まだ酸素のない太古の海には多くの鉄が溶けており、そこで生命の起源となる原始的な細胞ができ微生物が生まれました。アミノ酸や糖などの簡単な有機物質の分子が誕生・成長するときに、鉄が有機化合物と結合した「錯体」として機能し、その結果、細胞が自己生成してきたと考えられます。その後、生物は酸素呼吸を始めましたが、その酸素を円滑に使うために、鉄は電子を輸送し酸素を還元してエネルギーに変換する重要な役割も果たしてきました。

突然変異でシアノバクテリアという褐藻類(海藻)が生まれた時、太陽光と炭酸ガス、水から酸素を生み出す光合成が誕生しました。海水中の酸素は増加し、鉄は固体の酸化鉄となって海底に沈殿しました。それが現代文明に欠かせない鉄鋼製品の源である鉄鉱石になったと考えられます。鉄が沈殿した後は、銅やマンガン、亜鉛など他の金属による様々な錯体が生まれ、生物は新たな機能を獲得して進化を遂げたのです。

人体の多様な機能を支える

鉄は「ヘム鉄タンパク質」と「非ヘム鉄タンパク質」などの形態で体内に存在します。ヘム鉄タンパク質とは血液の赤色の原因となる成分です。大きな分子構造で安定して鉄を保持しています。体内鉄の約70%は、このヘム鉄タンパク質であり、その大半がヘモグロビンです。これは酸素呼吸する哺乳動物の象徴であり、血液中で酸素を摂り込んで全身に送る重要な役割を果たしています。

次に、同じヘム鉄タンパク質であるミオグロビンは、ヘモグロビンから酸素を受け取って、筋肉中に酸素を貯えています。また、全身の細胞に存在するヘム鉄酵素は、特に肝臓に多く、例えば細胞内の電子伝達によってエネルギーを生み出す源となります。また、シトクロムP450と呼ばれるヘム鉄タンパク質は、飲んだ薬を肝臓で代謝する重要な役割を持ち、これがないと薬の効果が持続し過ぎて不具合が起こります。一方、非ヘム鉄が含まれる微量の非ヘム鉄酵素は、鉄を体内で輸送・貯蔵するタンパク質で、本質的な触媒機能として不可欠です。さらに、出血してこれらの機能鉄が減少したときには、フェリチンやヘモシデリンの中に貯蔵された鉄が血液中に放出されて、機能鉄として体内に供給されます(図1)。

現代の日本人は鉄欠乏症貧血

こうした鉄分、特にヘモグロビンが不足すると貧血になり、それに伴って運動能力や学習能力も低下します。また、鉄などの金属成分がアンバランスになると、免疫性が低下し感染症にかかりやすくなるほか、細胞に障害をもたらす活性酸素を分解して消すタンパク質(鉄SOD)が減少すると老化が促進されるなど、鉄不足はさまざまな体調不良を引き起こします。

1日に摂取すべき鉄量は成人男性で10mg、女性で12mg程度です。平成13年度に行われた「国民栄養調査(厚生労働省)」では、現代の日本人は鉄欠乏性貧血が多いという結果が出ました。深刻な問題です。では、どのようにしたら鉄を効率良く摂取できるのでしょうか。例えば、牛肉もほうれん草も100g中に3.6~3.7mgの鉄が含まれていますが、その種類と吸収率は大きく異なります。牛肉中の鉄はヘム鉄の形をしていて、吸収率も20%以上になるのに対して、ほうれん草中の鉄は非ヘム鉄であり吸収率は5%以下です。鉄分が含まれるかどうかだけではなく、こうした事実を踏まえて摂取することが大切です(図2)。

食べ合わせについては、一般的にレモンなどのビタミンCと一緒に食べるとミネラル分が摂取されやすくなると言われます。また、現在ブームになっているアミノ酸は、ある条件で鉄と結合すると胃や腸の細胞膜を通過しやすくなり、鉄の吸収力を高める効果が期待できます。一方、ダイエットに効く繊維質は、脂肪とともに金属も吸着して排泄してしまう可能性があるため摂り過ぎには要注意です。現段階での最善策は、先ほどの含有量と吸収率を考慮してバランスの良い食事をとることに尽きますが、今後さらにこうした食品化学分野の研究が進むことを期待しています。

人類の存在と文明を支える鉄

人体にとって鉄は奥深い金属です。体内の鉄タンパク質には多様な化学反応があると同時に、さまざまな機能があります。どうして薬が効くのかなど、その機構や化学的興味は尽きることがありません。私はいま新薬の開発に取り組んでいます。例えば鉄SODや鉄タンパク質などの形からヒントを得て、鉄を含有した簡単な化合物や錯体を利用して効果的な新薬を創造したいと考えています。また、食品から体や細胞に鉄が摂り込まれる輸送機構はまだ部分的にしか解明されていません。その辺りの研究も進め、摂取の仕方から体内でのあり方、効き方まで、健康に寄与する成果を生み出していきたいと思っています。

鉄の存在価値はその普遍性と可能性です。鉄は地球上の生命が進化するうえで欠かせない物質であり、また道具を発見してきた人類史において不可欠な素材です。現在もある意味では鉄器時代です。鉄は、人類の生命と知恵の結晶である道具を創造した普遍的な物質であると同時に、私たちの健康に役立つ新たな可能性を秘めた金属なのです。(談)

 
 

profile
さくらい・ひろむ 1942年、京都市生まれ。京都大学薬学部製薬化学科卒。現在、京都薬科大学教授(代謝分析学教室)。専門は生物無機化学、生物錯体化学、ESR(電子スピン共鳴)分光学、微量分析学、薬物代謝学など。著書に『フリーラジカルとくすり』『生体微量元素』『金属は人体になぜ必要か』など多数。