事業化して社会で評価されなければ イノベーションとは言えない
京都大学大学院経済学研究科 教授 武石 彰さん
イノベーションには資源動員を正当化する理由が必要
一橋大学イノベーション研究センター在籍時に、研究対象の一つとして「大河内賞※ケース研究プロジェクト(2003~07年度)」に取り組みました。産業化され社会に貢献した技術に贈られる同賞は、イノベーションの実現プロセスの分析に最適な研究対象だったと言えます。そのケース研究の一つが「TULC」でした。
イノベーション研究センターではイノベーションを「経済成果をもたらす革新」と定義しています。イノベーションを実現するには、革新的な技術やアイデアを商品として事業化し、その価値を世に問わなくてはなりません。事業化に際しては、社内外の多くの人たちや組織の協力、生産設備や販売サービス体制(インフラ)など“資源”の動員が不可欠であり、従来にはない革新的アイデアの経済成果が不明確、つまり革新であるが故の“不確実性”のなかで、それらの資源動員を正当化する“真っ当な理由”が必要になります。
常にその時代の価値を問い、かけがえのない存在に
TULCの開発は1980年代初頭、「作業負荷の高い潤滑剤を使わない塑性加工技術を開発したい」という一技術者の思いから始まりました。その後の開発過程で、当初の技術目標とは別の「環境保全」の側面から経営トップの支持を得たことが、成否が不確実な中での資源動員を正当化する大きな理由になりました。工程省略によるコスト削減効果もさることながら、現在ほど環境問題が注目されていなかった時代に、潤滑油や冷却剤を使わない省資源・環境保全型製缶プロセス開発の挑戦は、技術者が想定していた以上のスピードで進みました。経営者の先見の明がイノベーションの原動力になった事例です。
そして、スチール缶の材料を製造する鉄鋼メーカーや、被覆材をつくる樹脂メーカーなど外部企業の理解と協力を得て、折しもブラジルの環境サミット開催時期と重なる1990年代初頭に実用化され、環境重視の新技術として普及しました。まさに「経済成果をもたらす革新」となったわけです。
現在、イノベーションと言うと、変化と成長が著しいIT産業やバイオ産業などに注目が集まります。しかしそれらの世界の土台を成す鉄鋼産業は今後も不可欠です。時代の大きな流れのなかで、情報など他産業との関連を含め、“鉄”の社会的価値を改めて考察し、“かけがえのない存在”としてイノベーションを創出し続けてほしいと思います。(談)
※大河内賞:生産工学、生産技術、生産システムの研究ならびに実施などに関するわが国の業績で、学術の進歩と産業の発展に大きく貢献した開発・普及事例に対し、(公財)大河内記念会が毎年贈呈。
1958年生まれ。82年東京大学教養学部卒業後、(株)三菱総合研究所に入社、自動車産業など製造業を中心とした調査研究に従事する(~94年)。90年マサチューセッツ工科大学(MIT)スローン経営大学院修士課程修了(経営学)、98年同大学院博士課程修了(経営学)。一橋大学イノベーション研究センター助教授、同教授を経て2008年より現職。主な研究領域は技術経営(MOT)、企業間システム論。著書に『分業と競争』(有斐閣)、『ビジネス・アーキテクチャ』(共編著、有斐閣)、『メイド・イン・ジャパンは終わるのか』(共編著、東洋経済新報社)、『イノベーションの理由-資源動員の創造的正当化』(共編著、有斐閣)など。