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STEEL CAN AGE

MAIN REPORT

スチール缶は鉄でできている!
“鉄”と“缶”の技術革新で、進化し続けるスチール缶

食べ物や飲み物を旬のまま長期保存できる容器「スチール缶」。19世紀後半に食品・飲料用缶容器の本格的な工業生産が始まって以来、約1世紀にわたって私たちの暮らしを支え続けています。「スチール缶」の変遷を、材料の鉄と缶づくりの両面から垣間見てみましょう。

缶詰(スチール缶)が誕生、そして世界へ

1824年、北極探検に携行された缶詰

缶詰原理のルーツは、1804年、塩蔵調味料・菓子製造・醸造業を営んでいたフランス人のニコラ・アペールが発明した、コルク栓のガラスびんに食品を封入し加熱滅菌する保存方法といわれています。正確にはびん詰製法ですが、製法の原理は缶詰と同じです。
そして1810年、薄く延ばした鋼板に錫をめっきした「ブリキ」を、食品保存用の容器に使うことを考案し、特許を取ったのがイギリス人の商人・ピーター・デュラントです。彼は陶器・ガラスなどさまざまな材料を使い実験を繰り返し、すでに1730年にイギリスで生まれていたブリキを切り、ハンダ付けしてつくった「缶(スチール缶)」を発明したのです。彼の特許は食品の貯蔵法とその密封容器として、ガラスや壷、さまざまな金属容器にまで及んでいますが、なかでもブリキ缶容器の考案がポイントだったため、彼が「ブリキ缶の開祖」と呼ばれています。
イギリスで発祥した缶詰技術は、19世紀の前半までにアメリカに伝わり、缶詰工業として南北戦争(1861~65年)を機に大きく発展しました。一方、日本では1871(明治4)年、長崎で外国語学校司長を務めていた松田雅典が、フランス人教師から缶詰の製造法を教えられ、鰯油漬缶詰を試作したのが始まりとされています。
その後、缶詰工業は、第1・2次世界大戦の軍用食としての需要によって、各種の技術革新を伴いながら世界的に成長を遂げました。

資料提供:(公社)日本缶詰びん詰レトルト食品協会

ブリキの国産化が、日本の缶詰工業の礎に

八幡製鉄所(現日本製鉄 九州製鉄所 八幡地区)で
ブリキ製造を指導したドイツ人技師
ワルター・ルオスキー(右)

1900年代初頭、日本ではスチール缶の材料となるブリキを、イギリスやアメリカから輸入していました。しかし、日露戦争後、アメリカの製缶技術を導入してサケやマスなどの缶詰が大量生産され、缶詰が輸出産業をけん引するようになると、缶素材の安定供給の基礎となるブリキの国産化が大きな課題となりました。
1901年に創業した官営八幡製鉄所は、1917(大正6)年にブリキ工場を建設し、独力でブリキ製造に挑みましたが、なかなかうまくいきません。ブリキをつくるには、鉄鉱石から鉄分を取り出して(還元)、溶けた鉄の塊を加熱と圧延を繰り返しながら0.3ミリ前後の薄板に加工します。そこには多くの処理技術が必要で、他の製品に比べてはるかに工程数が多く、高度な技術が求められたのです。
そして1921年、薄板製造の知見を持つドイツ人技師が八幡製鉄所で技術指導にあたります。その熱心な指導と製鉄所員の努力によって製造技術は急速に改善され、1923年6月、ついにブリキの国産化に成功しました。これが日本における薄板製造の始まりであり、スチール缶の技術革新の原点となりました。
その後、1941(昭和16)年には、アメリカで開発されたホットストリップミル(熱間連続式圧延)が、日本に導入されます。ブリキ製造は、畳型の鋼板を900~1,100℃の高温で圧延(熱間圧延)したあと、常温でさらに薄く圧延(冷間圧延)し、最後に薄板表面をめっきする自動化工程となりました。圧延工程の手作業がなくなることで、ブリキの品質と生産性は大幅に向上しました。
さらに1955年、熱で溶かした錫にどぶ漬けする溶融めっき法に代わって、「電気めっき法」によるブリキの商業生産を開始し、圧延との連続量産体制を築きました。電気めっき法とは、錫イオンを含んだ水溶液中で電解するもので、溶融めっき法に比べて2分の1以下の薄さで均一にめっきできるようになりました。

出展:八幡製鉄所「ブリキ50年の歩み」写真集(新日本製鉄(株)/昭和48年)
※画像データはVOL.37MAINREPORTより転載

日本独自の新技術が、スチール缶の進化を支える

TFSとブリキの断面比較

1950年代後半になると、錫の資源枯渇が世界的に懸念されるようになり、ぶりきに代わる缶用表面処理鋼板の研究開発が欧米で進められました。こうしたなか1961(昭和36)年、まだ後進国だった日本が世界に先駆けて「TFS(ティン・フリー・スチール)」の開発に成功しました。TFSは、錫(Tin)を必要としない(Free)鋼板(Steel)という意味です。鉄づくりにおいて、日本が初めて欧米の技術を追い抜いた瞬間でした。これを機に日本独自の新技術が数多く誕生することとなりました。
アメリカでは、新たにアルミ缶が、急速に需要が拡大していたビールや炭酸飲料市場に参入していたため、スチール缶で経営基盤を築いてきた製缶メーカーは、鉄鋼メーカーに対してTFSの国産化を要請しました。アメリカの鉄鋼メーカーは精力的に研究開発を進めたもののTFSを国産化できず、最終的には他の鋼板製造技術とのクロスライセンス契約を日本の鉄鋼メーカーと締結しました。TFS製造技術はアメリカをはじめとする海外で技術供与され、日本のオリジナル技術が世界を席巻しました。また、リサイクルの観点からみると、錫を使用しないことで鉄スクラップの品質が向上しました。

※画像データは、Vol.6缶の履歴書より転載

鉄づくりと製缶の両輪でスチール缶の技術革新に挑む

スチールDI缶

1960年代中ごろには、アメリカのビール・炭酸飲料の容器市場はアルミDI缶が大きなシェアを占めるようになりました。DI缶とは絞り加工(Drawing)としごき加工(Ironing)を連続的に行い、円筒状に成形する製缶法です。成形後は缶胴と缶底が一体となり、飲料の充填後は缶蓋を巻き締めるため、2ピース缶と呼ばれています。しごき加工の効果で缶高さが深い容器に仕上げられ、ビールや清涼飲料のように縦長の缶を製造することに適しています。
当時のスチール缶は缶胴部、缶底、缶蓋からなる3ピース缶のみだったため、日本の製缶メーカーはスチールDI缶の開発に乗り出しました。しかし、従来の鉄では絞り加工としごき加工によって、板厚を3分の1まで薄く延ばしながら、成形することができませんでした。その原因は鉄の中に混じっている、直径10~100ミクロンの肉眼では見えない小さな介在物にありました。介在物は鉄よりも延びにくいため、成形時に割れなどの不良を発生させていました。
スチールDI缶の開発を目指して、鉄鋼メーカーと製缶メーカーによる共同研究が始まりました。ここで注目されたのが、1970(昭和45)年八幡製鉄所に設置された連続鋳造設備です。連続鋳造とは、溶けた鉄を固める製鋼・鋳造工程で介在物をできるだけ除去し、圧延に適した一定の形の鋼片(半製品)をつくる技術です。溶けた鉄を冷やして固める造塊工程を省いて、溶けた鉄から鋼片まで一度につくれるようになり、生産性向上と省エネルギーを実現しました。この連続鋳造設備を駆使して、1973年に介在物の少ない鉄をつくる技術を確立し、世界初のスチールDI缶が大和製罐(株)によって開発されました。
連続鋳造化はスチール缶の加工性向上を加速させるだけでなく、自動車や建材、家電用鋼板の連続鋳造化を促し、薄くて強く、加工性に優れた鉄の特性はさらに進化しました。

※画像データは、Vol.6缶の履歴書より転載

環境の時代を先取りする技術を積極的に開発

1990年代に入ると、地球環境問題が顕在化し、課題解決に向けた議論が活発化しました。その社会ニーズを先取りして、鉄鋼・製缶・化学メーカーが協働し、1991(平成3)年にポリエステルフィルムをラミネートしたTFSによるラミネート2ピース缶「TULC」を開発しました(東洋製罐(株))。
2ピース缶の代表だったDI缶は、成形性を良くする潤滑剤とそれを洗い流すための水を使い、成形後に缶内面の塗装工程とオーブンによる焼付工程が必要でした。しかしTULCは、新しい成形方法によって潤滑剤と洗浄用の水が不要となり、また、フィルムラミネートにより、製缶後の缶内面の塗装・焼付工程がなくなり、省エネ効果をあげるとともに、CO2排出量も大幅に抑えることができました。
さらに1994年には、ラミネート3ピース缶を大和製罐(株)と北海製罐(株)が開発しました。缶胴外面にグラビア印刷をしたフィルムを、内面にもフィルムをそれぞれ貼り付けることにより、塗装や印刷のオーブン乾燥工程が不要となり、製缶時のエネルギー消費やVOC(揮発性有機化合物)排出を大幅に抑えました。こうした技術開発によって、多くの飲料缶にラミネート技術が採用され、かつて欧米から導入した缶材料の製造技術と製缶技術は、完全に日本の技術に置き換えられました。
また、成形性向上の面では、「3ピース缶」と「2ピース缶」の技術をベースに、デザイン性にこだわった樽型缶などの異形缶や、リシールできるボトル缶をはじめ多彩な形状のスチール缶が登場しています。
スチール缶は軽量化や省資源化など、時代ニーズを先取りする鉄の進化をけん引し続けてきました。そして使い終わったあと分別排出・収集し、リサイクルする仕組みが整っているからこそ、90%を超えるリサイクル率を実現しています。さまざまな素材があるなか、スチール缶は持続可能な循環型社会にふさわしい容器として、さらなる進化を遂げていきます。

接合部の改良と、鋼板の薄肉化で軽量化を実現!

ブリキ缶の誕生以来、缶胴の接合部にはハンダが使われてきましたが、錫と鉛の合金だったため、鉛の溶出が食品衛生上の問題となりました。また、3ピースハンダ缶では缶胴と蓋の嵌合を二重巻締で行っていたため、板厚は4倍になり、蓋の巻締が完全にできず、飲料漏れトラブルの原因となっていました。しかし、1978(昭和53)年に新しい溶接技術と溶接缶用表面処理鋼板が開発され、これらの問題を解決しました。缶胴の接合部の重ね幅を0.4ミリまで縮めることに成功。巻締性が向上するとともに接合部の強度がアップし、板厚が薄くなったことで缶の軽量化も進みました。
また、1973年に登場したスチールDI缶は、鋼板の性質を決める製鋼段階での二次精錬や連続鋳造(垂直曲げ型)により介在物をできるだけ除去した高強度かつ成形性に優れた材料と、打ち抜いた薄鋼板を絞り加工やしごき加工でカップ状(底付きの缶胴)に成形する新たな製缶技術との組み合わせにより可能になりました(上述)。重量も、開発当初41gだったスチールDI缶(350ml)は、90年代には30gを切るレベルまで軽量化されました。
DI化とあわせて軽量化に寄与した鋼板の薄肉化については、2018(平成30)年、東洋製罐(株)と新日鐵住金(株)(現日本製鉄)が、缶の成形を邪魔する介在物を徹底的に除去することで、スチール缶では業界最軽量となる鋼板板厚0.170mmのスチール缶(TULC缶)を共同開発し、コーヒー缶飲料(185g)に採用されました。
スチール缶は、今後も軽量・薄肉化に限らず、鋼材と製缶一体で“次の究極缶”開発の種を見つけ、消費者の方々が手に取って変化を感じていただける容器開発にチャレンジし続けていきます。

製缶技術のいろいろ

※画像データは、Vol.15缶の履歴書より転載