文明の礎「鉄鋼業」
– 社会発展を支える鉄、進化する製鉄所 –
今号では、近代文明史における鉄の重要性と、時代の変遷とともに進化を遂げた鉄の機能と製鉄所の懐の深さを紹介し、1本のスチール缶に秘められた“付加価値”を再認識したい。
“近代”をもたらした鉄鋼業の誕生
天然資源である鉄鉱石からさまざまな工業製品(鉄鋼製品)を生み出すー。鉄鋼業の近代化の始まりとなった近代高炉の原型は、14世紀から15世紀にかけてドイツ・ライン河の支流で誕生したと言われる。
木炭で鉄鉱石を燃焼し鉄を取り出すこの「高炉法」は、16世紀にイギリスに渡り、産業革命における綿織物業の機械化をはじめとする鉄需要に応えた。「紡ぐ」と「織る」という綿織の工程が、それぞれ改良・発明を経て相互に刺激し合い、機械化を急速に進めながら他の産業の機械化を促し、産業構造の変革をもたらした。
しかし、鉄の生産量の増大とともに木炭使用量が増加し、鬱蒼としていたイギリスの森林の約半分が消えた。そこで1709年には、木炭の替わりにコークス(石炭)を使った現在の「シャフト炉(※1)」(写真1)での生産が始まり、その後、蒸気式送風機などが開発され、鉄の大量生産を可能にした。蒸気機関と並びイギリス産業革命の原動力となった高炉法は、生産性や燃料使用の効率性の点で優れることから、現在までの300年間にわたり製鉄技術の基盤となっている。
19世紀後半には、鉄道の発達や高層建築の増加、武器の改良などでさらに鉄の需要は高まった。また19世紀初めにガス灯が発明され、ガスの供給会社がロンドンに設立(1812年)されると、各都市に膨大なガス管需要が発生した。ガス供給用の本管は、鋳型に溶鉄を流し込んで作る鋳鉄管で、分配用の小径管は、主に銃身と同じ短い錬鉄(半溶融した鉄を鍛錬したもの)管が使われた。
生産性と品質の面から製鉄技術の改良も進み、1856年には、砲身用の材料開発をきっかけに、高炉で製造された銑鉄の炭素や不純物を徹底的に減らし、粘りのある強靭な「鋼(炭素が少ない鉄)」を作る「溶鋼法(転炉法)」が考案された。現在、日常生活で私たちが利用している鉄製品は、この“鋼”で作られている。
20世紀になると、技術開発は加速し、連続鋳造法などの新技術の登場によって、鉄鋼業は一大産業へと成熟し、「鋼の時代」を迎える。特にアメリカでは、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーなどによって設備は機械化・大型化され、それを支える周辺技術も発達し、近代製鉄は総合的システムとして完成した。
[ 注釈 ]
※1:原料や燃料などの装入物を炉上から入れて、炉下部から銑鉄、スラグを排出する竪型炉
日本の産業革命も支えた鉄鋼業
日本の近代製鉄の夜明けは、1858年釜石で、南部藩士の大島高任が洋式高炉による初出銑・操業に成功したことに始まる。19世紀後半、日本では明治維新とともに綿糸紡績業などの軽工業が発展し、生産地と消費都市、輸出港とを結ぶ鉄道が発達した。また、造船、電力、化学、機械などの諸工業の勃興を促すことで、鉄鋼需要が急激に増大した。
そして、1894年に勃発した日清戦争を機に、「産業の母」「国防の基」として官営の大規模製鉄所(The Japanese Government Steelworks)建設の機運が高まり、1901年、八幡製鉄所(現新日鉄)による本格的な鉄鋼生産がスタートする(写真2)。八幡は、背後に筑豊炭田が控え、石炭産業によって陸運用の鉄道網が広がり、積出港や大型船舶が整備された。こうして鉄は、“貴重品から必需品”へと大きく転換していく。
以後、「富国強兵・殖産興業」のスローガンのもと、鉄鋼業は国策として育成される。八幡製鉄所の創業と拡張は、鉄道、造船を中心とする基幹産業の鉄鋼需要に応えるとともに、産業構造の重化学工業化をはじめとする日本の経済戦略の一環として取り組まれた。第二次世界大戦前の最盛期には、全国で37基の高炉が稼働していた。
鉄鋼製品の安定供給によって、日本の社会基盤、ライフスタイルも大きく変化する。1872年に開通した新橋ー横浜間(約29km)を皮切りに鉄道網は広がり、ドイツからの技術導入をベースに始まったレール製造は、1933年の25mレール製造(世界初)など日本独自の技術開発によって交通基盤整備に大きく貢献した。また、電気と磁気の関係を明らかにした電磁誘導現象の発見などによって、20世紀前半、電気機器は本格普及の時代を迎える。動力は蒸気から電気に移行し、発電機、変圧器、電気機器のモーターに不可欠な電磁石の役割を果たす電磁鋼板が1924年に国産化され、現代までの電気文明の隆盛を支えている。
一方、自動車、家電、住宅などの薄鋼板のルーツである容器(スチール缶)用材料は、1923年八幡製鉄所で、当時の戦略物資だった缶詰用ブリキの国内生産に成功し、以後、工業生産体制が確立される。1913年には食料缶の自動製缶機が輸入され、1917年の東洋製罐(株)の創立によって本格的な缶の工業生産がスタートした。しかし第二次世界大戦前、缶詰はみかんなどの輸出用と軍の食糧として利用され、一般家庭ではなかなか口にできない高級品だった。
日本の産業革命も支えた鉄鋼業
「もはや戦後ではない」と言われた1950年代。日本では鉄鋼業が輸出産業として飛躍する重要な10年となった。欧米からの技術導入、消化、新たな技術開発を通じて日本の基幹産業として発展を遂げ、鉄鋼製品は綿製品を抜き輸出トップの座につき、貿易立国の旗手となった。また、鉄鋼業の設備投資は、機械、土木、建設業の設備投資と循環しながら相乗効果を生み、互いの需要と成長を喚起しながら、日本経済をリードした。高度経済成長の始まりだ。
1955年には、初めて飲料缶として「オレンジジュース缶詰(明治製菓)」が登場し、その後の高度経済成長とともに、ビール、炭酸飲料、コーヒーなど、“缶入り飲料”の市場を形成していった(写真3)。また、高度経済成長の象徴的製品となった集合住宅のステンレス鋼製シンクが登場する。錆に強いステンレス鋼は、鋼にクロムとニッケルを混ぜた鉄の仲間(合金)だ。クロムを混ぜることで表面に薄い膜ができ、鉄を錆から守る。こうして鉄は、添加元素の調整や加工法次第で、柔らかく、強く、しなやかになり、時には鮮やかささえ備えて、さまざまな分野で使われるようになった。
1980年代になると、国内市場の成熟とあいまって、鉄鋼業は重厚長大と呼ばれる斜陽産業の典型となったが、21世紀に入り、中国の経済成長などを背景とした鉄鋼需要の拡大とともに粗鋼生産量は再び伸び、2003年には1億1,000万トン(日本)を超え、現在では自動車用鋼板などの高級鋼材は生産が追いつかない状況になっている。工業化により経済発展を遂げる国は、国内総生産(GDP)が鉄鋼消費量と共に上昇する。鉄鋼業が工業化による経済発展を牽引することは明らかだ。
多彩な形状と機能を生み出す“鉄”
現代社会には、鉄以外にもアルミニウムなどの他金属やセラミックス、プラスチック(高分子材料)など、さまざまな材料が溢れている。しかし、鉄鋼の消費量が低下することはない。金属材料の中でいまだ大半を占める鉄は、現代においても文明の象徴だ。これは強度、粘り強さ、加工性、導電性、経済性といった他材料では置き替えることのできない材料としての総合力によるものだ。炭素を合金元素の主体とし、溶融時にそれらの量を加減することで、軟らかく加工性の良い鋼から硬くて強い鋼まで、性質を変幻自在に操ることができる(写真4)。また、全ての溶接法が適用できる材料は鉄しかない。
現在のハイテク技術の集積とされる自動車には、重量の7割以上も鉄が使われており、身近な暮らしの場を眺めるだけで、包丁、鋏、フォーク、スプーン、食品・飲料缶から、洗濯機、冷蔵庫、エアコン、AV機器など、至る所で多彩な形状と機能を持つ鉄の姿を見つけることができる。また、優れた耐食性と意匠性を持つステンレス鋼も、同じ品種(18%クロム、8%ニッケル)が調理器具やバスタブなど身の回りの製品だけではなく、小さな注射針から大きな鉄道車輌まで、さまざまな分野で使われている。
さらに、環境の時代を迎えた現在では、鉄のリサイクル性の高さが脚光を浴びている。飲料缶、自動車、建材に使われる鉄は、基本的に全て同じ炭素鋼であり、高温で溶かし炭素量を調整して不純物を除去することで、何度使っても再び何にでも生まれ変わる「100%マテリアルリサイクル」が可能だ。鉄を工業製品化する際の添加物(合金元素)の量がアルミの約100分の1程度であることも、リサイクルのしやすさにつながっている。現在、年間でレインボーブリッジ約20本分のスチール缶スクラップが、貴重な鉄源としてさまざまな鉄鋼製品に姿を変え、“省資源・エネルギー”と“廃棄物の減量化”を実現している。
一方、鉄はLCAの観点から、最終製品の省エネや環境負荷の低減にも貢献している(環境調和型製品)。例えば、自動車鋼板は、高強度化による軽量化(薄手化)で燃費向上に寄与し、電磁鋼板では、磁気を通りやすくする最先端の結晶制御技術によって、送電時の電力ロスを飛躍的に低減している。今後、建材分野などでも、安全性、メンテナンス性の観点から、強くて伸びが良い変形特性を持つ“鉄の機能”を積極的に活用する気運もあり、新たな市場開拓が期待される。
また、さまざまな表面処理を施すことによって、耐食性はもちろん、塗装性や吸熱性、耐指紋性など、新たな機能を発現させることができるため、もともと鉄が持つ強度、加工性、経済性のメリットを活かすことで、さらに用途は広がるものと思われる。
進化し続けるエココンビナート・製鉄所
鉄鋼業は製品を通した環境貢献だけではなく、製鉄所を拠点に、再商品化事業者としての企業責任も着実に果たしている。長年取り組んできた、製造工程で生まれるスラグ・ダストのセメント原料などへの再利用に加え、日本鉄鋼連盟では、「環境基本法(1993年)」に基づき循環型社会形成推進に貢献するため、他業界に先駆けて「鉄鋼業の地球温暖化対策への取り組みに対する自主行動計画(1996年)」を公表し、実行している。
容器包装を取り巻く環境としては、特に、「容器包装リサイクル法」の施行から10年を経過し、鉄鋼業はスチール缶リサイクルのみならず、使用済み容器包装プラスチックの受け皿としても不可欠であることが明確になった。すでに2004年度には、自治体収集のその他容器包装プラスチックのうち、62%にあたる約29万トンを高炉・コークス炉など製鉄プロセスの原料として利用しており、今後、収集方法の確立や制度の継続性などを前提に、2010年には100万トンを利用することとしている(グラフ1)(写真5)。
また、全国的に増加する廃タイヤの受け皿としても製鉄所は大きな役割を果たしている。タイヤの補強剤であるスチールコードをリサイクルすると同時に、タイヤに約78%含まれる炭素を溶解用微粉炭の代替原料として有効利用している。
一方で、このような「循環型社会の受け皿」としての機能に加え、製鉄所は「新たな価値の創造」の場として進化し始めている。現在、次世代エネルギーとして「水素」が注目を集めているが、製鉄プロセスで発生する石炭の乾留ガス(COG:コークス炉ガス)には、55%を超える水素が含まれている。エネルギーとして水素を使えばCO2やSOx、Noxなどの有害物質が発生しないうえ、水素を使った燃料電池は従来の熱機関に比べて効率性が高い(グラフ2)。また、COGに約30%含まれるメタンを、廃熱により水素に改質する研究も進んでいる。
アメリカでも2003年1月、ブッシュ大統領の一般教書演説の中で水素燃料戦略が発表された。石油輸入構造からの脱却と環境改善のために、車載用・家庭用・事業用燃料電池の商業的実用化を目指すものだ。今後、製鉄副生ガスによる水素供給は、未来の「水素社会」実現に向けて大きな力となっていくだろう(写真6)。このように、製品としての鉄の技術革新とともに、エココンビナートとしての製鉄所は進化し、循環型社会での存在価値を着実に高めている。
江戸時代の科学思想家、三浦梅園(1723-89)は次のようにしるしている。「金とは五金の総名なり。分かっていえば金・銀・銅・鉛・鉄。五金の内にては鉄を至宝とす。如何となれば、鉄その価廉にして、その用広し、民生一日も無くんば有るべからず」。鉄の重要性が的確に語られた一文だ。時代と共に新たな材料も数多く生まれたが、基礎材料である鉄の地位が揺らぐことはない。むしろ、鉄の資源量、材料特性、経済性、製鉄プロセスが持つ付加価値を考えると、その可能性は無限だ。そしてスチール缶も、そうした鉄鋼業の懐の深さを基盤に、今後もさらなる進化を遂げていくだろう。
『鉄と鉄鋼がわかる本』(新日鉄編著 日本実業出版社)
『物が語る世界の歴史』(綿引弘著、聖文新社)
『鉄理論=地球と生命の奇跡』(矢田浩著 講談社)
『金属なんでも小辞典』(増本健監修 講談社)
『NIPPON STEEL MONTHLY 2001年8・9月号』(新日鉄)