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STEEL CAN AGE

MAIN REPORT

循環型社会の構築を目指すトップランナーたち

消費者・自治体・鉄鋼メーカーのパートナーシップによってスチール缶はリサイクルされている

あき缶は散乱ごみや使い捨ての象徴、そしてごみ減量・資源化のわかりやすい事例として、1970年代から議論の対象となってきた。その結果、いまではスチール缶は、「消費者によるポイ捨て散乱防止・分別排出」「自治体による分別収集・資源化処理」「鉄鋼メーカーにおける再利用」という三位一体となったパートナーシップがしっかりと築かれ、1999年82.9%という世界最高水準のリサイクル率を達成している。
今回のMAIN REPORTでは、スチール缶の散乱防止・リサイクルの推進との関わりが深い[美化][分別][再生]という視点で、循環型社会の構築を目指すトップランナーたちの取り組みを紹介する。

CASE STUDY1 [美化]

モラルまでは拾えない
自分のごみは自分で持ち帰ろう
六甲山美化協力会

六甲山の自然を守りたい

1973年3月、一登山者から兵庫県の六甲山谷間に大量の不法投棄があるとの連絡が、神戸市役所に入った。神戸市はその年の5月、不法投棄を告発するために実態を調査したところ、大部分は他府県からの観光客が捨てたごみで、そのほとんどがあき缶であった。

六甲山は東の軽井沢とならぶアーバンリゾート地として人気を集め、年間1,000万人を超える観光客が押し寄せる。それだけにポイ捨てされたあき缶は大量で深刻であった。

六甲山の自然を守りたい。あき缶問題を通して、地元住民の心にこんな想いが芽生えた。緑の木々に覆われた自然の宝庫いっぱいの六甲山も、実は明治時代中期まで禿げ山だったのだ。それは江戸時代、燃料材として樹木を根こそぎ採り尽くしてしまったためであった。植物学者の牧野富太郎は1881(明治14)年、故郷の高知から船で上京する途中、神戸港に入港した際に見た六甲山の様子を次のように書いている。

「私は瀬戸内海の海上から六甲山の禿山を見てびっくりした。はじめは雪が積もっているのかと思った」(『牧野富太郎選集 I 』より)

いまの六甲山の美しい自然は、1,000万本を超える植林によって、100年の歳月をかけて取り戻したものであった。その六甲山を今度はごみの山にしたくない。1976年4月六甲山美化協力会の設立には、こうした住民の切実な想いが背景にあった。

24年間で1,291万本のスチール缶を回収再資源化

六甲山美化協力会は、六甲山自治会と地元有志企業、神戸市が運営主体となって、会員の会費で清掃活動事業や啓発活動事業を展開している。現在、会員数は139団体、会長は六甲山自治会の久万俊二郎会長(阪神電気鉄道代表取締役会長)、事務局は神戸市環境局が務めている。また顧問の一員として、あき缶処理対策協会は協力会の活動をサポートしている。

ここで協力会の活動を紹介しよう。

まず清掃活動事業については、散乱ごみを回収する環境美化作業、回収用コンテナ更新などの回収場所整備、回収したごみの再資源化作業を行っている。なかでも、回収再資源化作業では、六甲山の37カ所に106台の回収用コンテナ(「空き缶専用」47台、「空きビン専用」34台、「ハイカーゴミ専用」21台)を設置し、あき缶やあきビンをリサイクル(「ハイカーゴミ」は神戸市が回収・処理)している。

99年度には、回収作業を101回(あき缶78回、あきビン23回)実施し、表1のような実績をあげている。

兵庫県勤労者山岳連盟のクリーンハイクを支援

続いて、ボランティア活動支援と美化キャンペーンを軸とした啓発活動事業について紹介しよう。

ボランティア活動支援については、登山グループや関連イベントに対して、ごみ袋やクリーンハイキング地図などを提供している。この支援を積極的に活用し、ボランティアでクリーンハイクを行っている団体がある。兵庫県勤労者山岳連盟だ。

山岳連盟では、78年からほぼ毎月一回のペースで「六甲山からゴミを一掃する運動」を展開。99年12月までに、のべ10万3,207人の参加者たちが登山道を清掃し、33万70kgのごみを収集した。こうした地道な活動は兵庫県からも高く評価され、知事賞を受賞している。これまでの22年間の運動を踏まえて、村上悦朗常任理事は、散乱ごみの問題について次のように提言している。

「初めはごみを背負って1日7往復もしたものですが、いまでは見違えるようにきれいになりました。確実にハイカーのモラルは向上しました。しかし、ドライブウエイや駐車場、休息所では、むしろごみは増えています。クルマからのポイ捨てや相変わらず減らない不法投棄。ごみは確実に都市型化しています。ごみ排出を抑制する法制度の整備や社会構造の変革が急務だと思います」

“ごみを捨てないでください”から“ごみを持ち帰りましょう”へ

さて、話題を協力会の啓発活動事業に戻すと、美化キャンペーンについては2000年度次のような活動を展開している。

7月2日「グルーム祭(夏山びらき)六甲山クリーンハイキング」を開催、およそ2,000人のハイカーたちが登山道の美化とごみ持ち帰りに参加した。また、8月6日には恒例の神戸新聞紙上キャンペーンを実施、10月2日~31日には神戸市立神戸工業高校3年生が制作した美化啓発パネルを三宮地下街に展示し、六甲山の美化への理解と協力を呼びかけた。

これからの六甲山の環境美化について、協力会事務局の三原隆司局長(神戸市環境局環境政策課長)は、次のように展望し、決意を新たにしている。

「“ごみを捨てないでください”という運動を続けてきた成果として、回収コンテナへの分別排出にご協力いただけるようになりました。しかし、ごみの量は年々増加しています。

そこで、“ごみを持ち帰りましょう”とさらにもう一歩踏み込んだ形で協力を呼びかけています。回収コンテナがなくても、散乱ごみがないという状態が最も理想的ですね。神戸市民の手でつくり上げた六甲山の美しい自然を、大切な財産として、21世紀も守り育てていきたいと考えています」

CASE STUDY2 [分別]

“混ぜればごみ、分ければ資源”
資源ごみの分別を続けて四半世紀
沼津市

かつて不燃ごみの3分の2はリサイクル可能な有価物だった

可燃ごみ、不燃ごみ、そして資源ごみ。市町村によるごみの分別収集は、いまや当たり前となったが、このシステムを考案し、全国に先駆けて1975年4月全市一斉に始めたのが、静岡県沼津市であった。

沼津市で分別収集が始まった経緯について、当時市の清掃行政に携わっていた宇田川順堂さん(現在、沼津市立高尾園長)は次のように振り返る。

「沼津市でも70年代に入ると、埋立地の確保や完全焼却ができる清掃工場の整備が急務となり、これまでの手法では対応できない局面を迎えました。

その頃ごみ収集現場の市職員たちは、不燃ごみの中にはリサイクルできる有価物が多く含まれていることをよく知っていました。ですから、ごみの減量化には有価物を抜き出すことが、一番即効性があると考えました。そこで74年6月に不燃ごみステーションの分類調査を行いました。結果は驚くべきことに、不燃ごみの3分の2はあき缶などの有価物でした。

しかし問題となったのは、誰が有価物を分けるかでした。市職員が行えば膨大な人件費を必要とする。だから、市民に一定の役割を担ってもらいたい。これが分別排出の発想の原点となったわけですが、ここで市職員の意見は“できる” “できない” “?”の3つに分かれました。

それは分別排出という発想が、納税者である市民に手間をかけさせないのが理想的な住民サービスである、という行政思想と全く異なるものだったからです。

果たして市民の協力が得られるだろうか。半信半疑でしたが、74年7月から全市240余りの各自治会へ出向いて説明会を開きました。行脚をしたわけです。もちろん批判の声はありました。しかし、“なぜもっと早く言ってくれなかったんだ” “それくらいは市民の義務だ”など、予想外に多くの温かい励ましを受けました。特に明治から大正にかけて生まれた人たちは、何か地域に貢献したいという潜在意識を強く持っていたようです。こうして多くの自治会が、率先して資源ごみ収集に協力してくれるようになったのです」

クレーン付きトラックで効率的に大量のあき缶を収集

清掃行政を市に任せるのではなく、市民自らが社会的責任を自覚し、一体となってごみの減量・資源化を図る。この沼津市での分別収集システムは、「沼津方式」と呼ばれるようになり、その後全国各地へと広まった。

そして92年には、こうした功績が高く評価され、リサイクル推進功労者等表彰で通商産業大臣賞を受賞した。

ここで、沼津市での資源ごみの分別排出・収集について紹介しよう。

収集は月1回、作業は資源の種類ごとに各車両1日30~40カ所(3,500世帯分)ずつ行われている。市民は決められたステーションに収集日の午前8時までに排出。ステーションは自治会単位で、およそ100世帯に1カ所ずつ、総数およそ750カ所に設置され、役員や老人会、輪番制などによって管理されている。

資源ごみの対象はあき缶、生ビン・カレット、金属類、古紙・古布、ペットボトル。あき缶については、収集前日に設置された収集袋に排出。袋はクレーン付きトラックで収集し、資源ごみ中間処理場に運搬。中間処理場でスチール缶とアルミ缶に選別・プレス処理し、それぞれ再生業者に売却されている。

スチール缶が消費者から自治体、そして再生業者を経由し最終的には鉄鋼メーカーへとバトンが引き継がれ、リサイクルされている流れがよくわかる。

30年来、収集現場の第一線で活躍している、生活環境部クリーンセンター収集課の増田敏夫主任は、沼津方式の特徴について、その一端を次のように教えてくれた。

「沼津市は財政規模が大きいわけではありません。ごみ収集現場を担当する市職員も70数人に過ぎません。コスト面・作業面でいかに効率よく作業していくか。これが大きなポイントとなります。

例えば収集頻度を月1回としたのは、資源ごみの量や品質を確保する狙いがあるのですが、その場合あき缶は大変な重量となります。人の手ではとても対応しきれません。そこでクレーン付きトラックを導入しました。このトラックはリモコンでクレーン操作ができ、安全に効率よく収集作業を進められるようになりました。

このような収集運搬システムを整備していくにあたっては、あき缶処理対策協会からさまざまな面で支援してもらいました。その結果、スチール缶に関しては現在万全の体制が整っています」

分別が育んだ市民の自負

沼津市では、99年4月からプラスチックごみも加わり、現在4分別収集が行われている。99年度の資源化量は1万2,210t、資源化率は22.6%におよぶ。

資源ごみの分別収集を続けて四半世紀。さすがに市民のごみ問題に対する意識は非常に高い。午前7時、資源ごみを排出する市民に話を聞いた。

「ステーション管理の当番をすると、正しいごみの出し方が自然と身につくのね。だけど最近残念に思うのは、マンションなんかに住んでいる新しい住民の人たちが、自治会の活動に無関心なことなのよ」(40歳代主婦)

「最後のご奉公と思って、去年から自治会の衛生委員をやってますけど、日本人はマナーが悪くなったと思いますよ。テレビとか、冷蔵庫とか、不法投棄する人がやっぱりいる。4月から処分するのに4千円くらいかかるんでしょう。シンガポールなんか、ツバ吐いただけで1万円くらい罰金を取られるそうじゃないですか。日本でも厳しく取り締まらないとダメなんじゃないかな」(70歳代男性)

いま沼津市では、「一般廃棄物処理基本計画~新たなリサイクル社会に向けて~」(目標年次2000年度~2009年度)に沿って、“平成の沼津方式”を模索している。

生活環境部クリーンセンター収集課の久保田元治課長は、今後の取り組みについて次のように語っている。

「廃棄物の発生そのものをいかに抑えて、環境保全型で資源循環型のシステムを構築していくかが問われています。“ごみを出さず” “ごみを作らず” “ごみを売らず” “ごみを買わず”の4つの“ず”を基本理念に、市民・事業者・行政がお互いに手を携えて、着実に実践し定着できるよう、分別収集の面でも現状に適した効率的な収集運搬システムを整備していきたいと考えています」

CASE STUDY3&4 [再生]

“何にでも” “何度でも”
スチール缶は100%リサイクルできる
千代田鋼鉄工業 NKK京浜製鉄所

分別処理の精度向上でスクラップ利用が加速

全国80カ所あまりの製鉄工場で、1999年に原料として使用されたスチール缶スクラップは、およそ105万t。この数字は鋼材に換算すると、東京タワー263基分に相当する。

また、スチール缶スクラップを使うことで、鉄鉱石から鋼材を製造する場合よりも、エネルギー消費量は75%も削減できる。これは神奈川県横浜市に匹敵する132.5万世帯分の年間電力使用量を節約したことになる。

鉄鋼メーカー(高炉・電炉)は長年、スチール缶をはじめとする鉄スクラップを重要な原料として位置づけ、省資源・省エネのエコプロセスで鉄をつくってきた。なかでも電炉メーカーは、とりわけ多くのスチール缶スクラップを使用し建設土木用資材を生産、スチール缶リサイクルに大きく貢献している。

その電炉メーカーの千代田鋼鉄工業(株)(東京都足立区)は、スチール缶スクラップの利用技術を確立し、初めて使用した草分け的存在だ。

千代田鋼鉄では、スチール缶スクラップを75年4月から製鉄原料として使い始めたが、利用技術の研究開発は70年から続けられていた。利用技術のポイントについて、棒鋼製造部製鋼課の高橋一郎課長は、次のように解説してくれた。

「まず問題となるのが、飲み残しです。スクラップを1,600℃という高熱の電気炉で溶かすわけですが、飲み残しがあると炉の中でいわゆる水蒸気爆発が起こります。コップ1杯分の水分でも、800倍もの力で爆発すると、ものすごいですよ。結構いい音が住宅街まで響きわたります。

もちろん、タバコの吸い殻といったごみの混入は品質面で困ります。ちなみに最近のスチール缶にはプルタブ部分にアルミが使われていますが、これは溶けるとき熱を放出するため、むしろ製造にはプラスに働いてます。

そのほか、電気炉に1回あたりどのくらいの比率でスチール缶スクラップをブレンドしたらいいかとか、スチール缶プレスの大きさなど、安定操業するためには、実にさまざまな障害がありました。こうした問題を解消できたのも、資源回収業者や自治体での分別処理の精度向上が欠かせませんでした」

リサイクルしやすい資源

千代田鋼鉄は電気炉の操業技術の改善に取り組んだ結果、いまや国内最大級の規模でスチール缶スクラップを使用する鉄鋼メーカーの一つとなった。スクラップの調達地域は、東京都内をはじめ関東一円に広がっている。

またスチール缶リサイクルの啓発活動にも積極的で、87年には東京都清掃局協力会のスチール缶リサイクル見学工場に指定され、小学生や市民団体、主婦会といった見学者を多数受け入れている。そして96年には、こうした功績が認められ、リサイクル推進功労者等表彰でリサイクル推進協議会会長賞を受賞している。

原料購買部購買課の福屋清志課長代理は、資源として利用する立場からスチール缶リサイクルについて次のように話す。

「リサイクル率は格段に向上しましたが、包装容器の多様化によって、ここ数年スクラップの流通量が減っているようです。このまま減り続けると、原料としての魅力を失ってしまうのではないかと危惧しています。

それから、熱心に美化活動をしている主婦に、“どうしてスチール缶は安いの?”と聞かれたことがありました。どうやらお金にならないので、ごみとして扱われているようです。スチール缶は大変リサイクルしやすく、環境にやさしい包装容器です。そのことをもっと多くの人たちに理解してもらいたいですね」

あなたの街の近くで生まれ変わっている

一方、スチール缶をはじめ自動車、家電、鉄道、船舶などの材料として欠かせない、さまざまな鉄鋼製品を生産している高炉メーカーもまた、近年スチール缶スクラップを安定的に使用するようになった。

NKK京浜製鉄所(神奈川県川崎市・横浜市)は、高炉メーカーの中でも早い89年から、スチール缶スクラップを利用している。

スクラップの調達地域は、横浜市や川崎市、東京都など首都圏南部のいわゆるスチール缶大消費地。年間購入量はスチール缶18億本相当にのぼる。製銑部原料室の武山剛室長は、スチール缶スクラップの利用について、次のように話す。

「鉄スクラップを利用する際、一番に気になるのが品質です。しかし、スチール缶に関しては、すでに自治体から資源回収業者へという信頼できる流通ルートがしっかりと確立されていますから、その心配は全くありません」

それでは、操業技術の面で改善しなければならない試行錯誤はなかったのだろうか。製鋼部製鋼工場の田畑芳明工場長に聞いた。

「スチール缶スクラップは、高炉で溶かされた銑鉄と一緒に転炉に入れますので、飲み残しなどによる安全性に対する問題や他のごみなどの不純物の問題が懸念されていました。しかし、この点については、信頼できる流通ルートの確立によって解消されています。

あとは成分に関する点で、当初スズや銅などがネックになるのではないかと思っていましたが、スチール缶は製造段階でリサイクルしやすいように高品位化されていますし、さらに最近ではティンフリー化も進み、特に問題はありません」

スチール缶リサイクルは循環型社会のトップランナー

京浜製鉄所では、スチール缶スクラップを購入するばかりではなく、所内で発生した使用済みスチール缶を100%リサイクルしている。さらにボランティア活動の一環として行っている、周辺地域の清掃で回収したスチール缶も、同じように所内で中間処理し、製鉄原料としている。

もともと鉄はリサイクルしやすい素材であり、鉄鋼メーカーはスチール缶をはじめとする鉄スクラップの再資源化システムを確立してきた。また鉄づくりで派生的に発生する副生物についても、再資源化システムを構築し、つねに資源の有効利用を推進している。

京浜製鉄所でもまた、これまで蓄積してきた資源有効利用の豊富なノウハウとエンジニアリング技術を活かして、使用済みのプラスチックやペットボトル、家電製品などのリサイクル事業に乗り出しており、循環型社会の構築に向けて挑戦し続けている。

スチール缶は消費財の中でも、すでに「消費者によるポイ捨て散乱防止・分別排出」「自治体による分別収集・資源化処理」「鉄鋼メーカーにおける再利用」という三位一体となったパートナーシップがしっかりと築かれており、回収すれば100%リサイクルすることができる体制が整っている。まさに循環型社会のトップランナーなのだ。