缶の履歴書
缶詰登場/缶詰原理の発明、そして世界へ・・・
新シリーズ企画(全3回)では、私たちが日頃何気なく利用して、当たり前のように利便性を享受しているスチール缶のバックボーンにある誕生秘話・歴史、知恵が生み出した技術などのエピソードを、「缶容器の誕生」「技術の変遷」「環境対策への挑戦」の3つの視点から紹介する。初回は缶詰が誕生した背景と世界に広まる過程を追う。
缶詰原理の発明 ガラス容器の貯蔵法として
人類にとって容器が食品貯蔵に欠かせないものであったことは、紀元前のエジプト王朝時代に使われたガラス容器の出土などが有言に物語っている。人類の歴史とともに食品貯蔵の技術は発展してきたのである。
いまの缶詰の原理を歴史的に見ると、コルクで栓をしたガラスびんに加熱滅菌した食品を封入する保存方法が始まりだろう。
1804年、塩蔵調味料・菓子製造・醸造業を営んでいたフランス人のニコラ・アペールが発明したものだ。正確にはびん詰製法だが製法の原理は缶詰と同じ。
1804年と言えば、フランスではナポレオンが皇帝になった年。日本は江戸時代の鎖国の只中で、後の黒船来航をもたらす外国船が近海を往来し始めた頃である。
18世紀末期フランス革命のさなか、ナポレオンはヨーロッパ戦線を東奔西走していたが、軍隊の士気を高め戦闘力を維持するために、戦線において栄養があり新鮮な食料を大量に供給する必要性を痛感し、新たな食品貯蔵法を懸賞金つきで募集した。その懸賞金1万2,000フランを見事手中に収めたのがニコラ・アペールなのである。しかし当時のガラスは割れやすく、ロシア遠征など実際の戦場では役に立たなかったという説もある。
ぶりき缶の登場 ぶりきの新たな活用法として
缶詰原理の発明から6年後の1810年、食品保存用としての容器にぶりき缶を使うことを考案し特許をとったのがイギリス人の商人、ピーター・デュラントだ。
彼は陶器・ガラスなどさまざまな材料を使い実験を繰り返し、すでに1730年にイギリスで生まれていた圧延薄鋼板(ぶりき)を切り、ハンダ付けしてつくった「缶」を発明したのである。
彼の特許は食品の貯蔵法とその密封容器として、ガラスや壷、さまざまな金属容器にまで及んでいたが、なかでもぶりき缶容器の考案がポイントだったため、彼が「ぶりき缶の開祖」と呼ばれているのである。もちろん金属容器自体はそれ以前から使用されていたが、食品保存用の密封容器としてはデュラントの発案が最初となった。
ところがデュラント自身は製造を行わず、彼から特許を譲り受けたロンドンのドンキン・ホール&ギャンブル商会が企業化して製造、1813年に初めてイギリス陸海軍に試験的に納入された。
一説には、黒船を率いて日本に来航する約30年前、アメリカの海軍士官ペリーが、このような初期の缶詰を持って北極に行ったと言われている。
ちなみに「ぶりき」(英語ではtin plate)とは、幕末時代、横浜での外国人居留地の建築現場で、イギリス人技師が鉄の箱に入った煉瓦を指差し「brick(=煉瓦)」と言ったのを、日本人の職人が箱を「ぶりき」というモノだと勘違いしたことが語源だと言われている。
缶詰工業の進展 戦争で成長した缶詰を世界平和のために
19世紀、ヴィクトリア女王時代のイギリスでは、ぶりき缶は貿易を通して重要な成長産業になり、美しい絵画を印刷した菓子・ビスケットの容器や、マトン・鰯・鮭・小えび・トマト・ジャムなど海外で缶詰にされた新鮮な食品が食卓を賑わした。
イギリスで発祥した缶詰技術は、19世紀の前半までにアメリカに伝わり、渡米したウィリアム・アンダーウッドによってボストンで企業化された。そして、その缶詰工業はやがて南北戦争(1861~65年)を契機に大きく発展したのである。
一方、日本では1871(明治4)年、長崎で外国語学校の司長を務めていた松田雅典がフランス人教師のレオン・ジュリーから缶詰の製造法を伝授され、鰯油漬缶詰を試作したのが始まりとされる。
当時は缶詰のことをその製法にちなみ「無気貯蔵」と呼んでいた。1877(明治10)年には、北海道開拓使が5カ所に缶詰工場を設置し、半自動式の製缶機械を輸入するとともに、アメリカ人2名を教師として招いて技術普及に努めた。
その後缶詰工業は、第1・2次世界大戦の軍用食としての需要によって、各種の技術革新を伴いながら世界的に成長を遂げたのである。
ところで、私たちが日頃飲んでいる缶ビールが登場したのは1935年のアメリカ。缶の内面にプラスチックコーティングを施し、ぶりきの厚みを薄くして軽量化が図られた。さらに耐久性と荷扱いの簡便さから缶ビールは、海外の戦場へ大量に輸送され、兵士たちのひとときの休息を演出したのである。
缶詰工業の成長は、皮肉なことに戦争によって大きく進展したと言わざるを得ない。しかし、地球上で飢えに苦しむ大勢の人たちが存在する現在、缶詰工業が果たす役割の大きさを忘れてはならない。
参考資料/東洋製罐社内資料、山本孝造著『びんの話(日本能率協会)』