日本の“技”の集大成が、現代に甦る甲冑の世界
東京都板橋区に在住の三浦さんは、現在日本で数人しかいない甲冑職人の一人だ。三浦さんの甲冑との出会いはデパートでの展示会。当時大学生だった三浦さんは、そこで甲冑に魅せられ、卒業後に甲冑師・森田朝二郎(もりた ともじろう)氏の下に弟子入り。31歳の若さで日本甲冑武具研究保存会から推薦甲冑師の指定を受けて、以降、全国の博物館などに奉納されている甲冑の修理や戦国当時の甲冑の完全復元制作などを手がけてきた。
通常、甲冑は数人の職人が分担で制作するが、三浦さんは材料調達から完成までをすべて一人で行う。
「例えば鍍金(ときん)。ここでは水銀を用いて手作業で金を塗りますが、通常の電気めっきでは独特の色合いが出せません。材料や製法など細部にまでこだわることで当時の復元が可能になります」
完全復元制作の場合、原物となる甲冑の調査や技法の考察に要する時間も含め、1領(甲冑を数えるときの単位)を制作するのに3年はかかる。
「最近は、本当に良い材料が入手困難になってきています。鉄の場合、完全復元となると、日本刀に用いられる貴重な“玉鋼”を刀鍛冶の方から分けてもらい使用します。やはり、贅を尽くしてでき上がった作品の重厚感は、日本の甲冑にしかない魅力です」
いわゆる日本独自の甲冑の原型は、3~4世紀に日本に伝わった南方系統と蒙古系統の鎧の特徴を融合させたもので、平安時代に入り日本独自の甲冑「大鎧(おおよろい)」が完成した。重量は1領につき約15~20kgほどで、現代人と比べ体が小さかったであろう当時の日本人にとっては、身に着けるだけでも一苦労だっただろう。戦国時代に入ると集団戦や鉄砲の普及などによる戦法の変化に伴い、「具足(ぐそく)」と呼ばれる、より鉄をふんだんに使った防御性の高い甲冑が主流となった。同時に鍛造技術も進歩し、鉄を薄く延ばすことで全体の軽量化を図っている。
また、力学、人間工学に応じて甲冑も進化を遂げてきた。具足の兜に使われている鋼片一枚一枚の縁は、L字型に曲げられ鋲でつなぎ留められているため耐久性が高い。この技術は現在の建築学にも応用されている。
現在三浦さんは、板橋区の小学校で甲冑についての特別授業を行うなど、日本の文化に触れる機会を子どもたちに提供する取り組みにも注力している。
「作品の展示会を行うと、意外と若い人たちが甲冑に興味を示してくれるんです。甲冑に興味をお持ちの方には私が培ってきた技術を惜しみなく伝えていきたいです」
今、数名の弟子が三浦さんの下に通い、一人前の甲冑師を目指して技能の習得に励んでいる。かつてデパートの展示会で甲冑に魅せられた三浦さんと同じように、日本伝統の美を今に伝える甲冑師が誕生する日もそう遠くはないだろう。